滝澤正光さんの競輪人生
10月8日まで松戸競輪場で滝澤正光杯が開催されていた。
滝澤正光さんは現在日本競輪選手養成所の所長を務めており、競輪界のレジェンドと言われた選手だ。
大会の名前にもなるこの滝澤正光所長は一体どのような人物なのか、今回は見ていこう。
滝澤正光所長の経歴
滝澤所長は中学、高校とバレーボールをやっており、競輪とは無縁の生活をしていた。
ある日「自転車に乗れなくても競輪選手になれる」という新聞広告を目にしたことがきっかけで、適正試験を受けて、日本競輪学校に入学した。
自転車競技とバレーボールの筋肉の作りは全く正反対で、早急に自転車に乗るための筋肉作りをする必要性が求められた。
その為、1分でも1秒でも長く自転車に乗ることを心掛けてたそうだ。
1日の練習時間は8時間、200km走る日もあったという。
勝
1979年にデビューし、そのレースで初勝利を挙げた。
でも、しばらくは思うように走ることも勝つこともできず、苦労していたが、若手時代から行っていた人並外れたトレーニング量をこなして、徐々に勝てるようになってきた。
一瞬のダッシュ力で一流選手に劣っていることを知っていた滝澤所長は、とにかく積極果敢に先行して、最後はラインの誰かが勝てばいいという心構えでレースに臨み、日本一の先行選手を目指すようになった。
その後は努力が実り、特別競輪を全て制し、史上2人目となるグランドスラマーになった。
45歳を超えてもS級の選手として活躍していたが、体力の衰えからか、A級に降格がきまり、「A級に下がってまで走り続ける気はない」と言って、現役引退することを決定した。
引退した2008年に、千葉競輪場の記念競輪の秋桜杯が滝澤正光杯と改められた。
通算成績は2457走中787勝。優勝回数150回。生涯獲得賞金は17憶5644万円。
神山雄一郎選手に次ぐ歴代第2位。
努力の人、滝澤正光
滝澤所長は新聞広告を見て、競輪学校に入学することを決めた。
しかし、入学後は自転車競技経験者の「技能組」と素人の「適正組」の格差に苦しんでいた。
技能組の中にはオリンピックに出た人もいる。
対して適正組はブレーキのない自転車に乗ったこともなければ、シューズをペダルにつけるクリップバンドの留め方もわからない。
実力差はかなりのものだった。
勝
当時の競輪学校は自主練習の時間が少なくて、訓練が終了した後、入浴までのわずかな時間だけだった。
その時間は滝澤所長は1秒も無駄にせず、ローラー台(3本のローラーの上を自転車で走れる装置)に乗っていた。
湯船に入れる時間がなくなってもここに時間を割いていたそうだ。
基本的にに日曜日は休みだが、技能組に追いつく為にバンクで自転車に乗って過ごしていた。
日曜に外出したのは2回だけ。
1回は落車で怪我をした友人のお見舞い
もう1回はサイクルスポーツセンターを見る為だった。
デビュー後はなかなか調子に乗ることができず、勝ちきれずにいた。
苦しんでいる滝澤所長に手を差し伸べたのは、父親だった。
当時の滝澤所長の問題点はダッシュ力。
そこで父親にバイクで誘導してもらうスピード練習を始めた。
最初は50ccスクーターでやっていた練習だったが、滝澤所長の父親も本格的な練習をするために中型免許を取得して本気で練習に付き合ってくれたらしい。
平日も毎日していた練習。その時間帯はなんと朝3時半から。そこから1時間半練習し、朝食を食べて、父親は会社に行っていた。
勝
その後の滝澤所長の活躍は、全てこの時の練習があってこそだったという。
オールスターを優勝した時に「いいぞ!親孝行!」という声がファンから上がった。
まさに勝つことが親孝行だと思うし、親子で努力したからこその結果だったんだな。
そして今では、元競輪選手では初となる競輪養成所の所長となった。
勝
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